「湯浅氏」追悼山行槍穂縦走記録  

日時 : 2003年 7月 19日(土) 〜 23日(水)

コース :

メンバー;YN(CL、食糧)、 EY(SL、渉外)、 MK (装備、記録)計3名

記録

 水俣乗越でセレモニー終了後、仲間に見送られて5名で出発する。出発してしばらく登り湯浅さんの事故現場で、散骨をして再度黙祷しこれからの山行の無事も祈る。長いはしごを通過し、急登・降下を繰り返しながら高度をかせぎヒュッテ大槍に到着する。降っていた雨も休憩中は止んではいたが 、槍は雲に隠れて姿が見えない。休憩後再び雨が降り始め、今日の最後となる槍ヶ岳山荘へと出発する。
 雨の中、槍ヶ岳山荘に到着する。山荘前や周辺にはおびただしいザックが並んでおり、槍ヶ岳山頂へ多くの人が登っている。ここでEYさんだけが頂上へ行き、残り4名は山荘で休憩をして帰りを待つ。山頂では2時間の順番待ちとの噂だったが、EYさんはスムーズに登ってこれたとのこと。ここで、槍コースのMTさん達と別れテント場へと向かう。連休中のため既に多くのテントが張ってあり、山の人気度が良く分かる。
 21日朝、雨の中を出発する。昨夜からの雨でテントもたっぷり水を含み大変重くなっている。今日は山行の核心部であるため慎重な行動が要求されるが、ここ数年間は山から遠ざかっており不安もある。大喰岳、中岳、南岳を通過し南岳小屋で小休止をする。小屋では約20名のパーティーも一緒になったが、ガイドの人の北穂まで5時間休憩無しで行くとの説明を聞いて、このパーティーより先行することにして出発した。小雨と霧の中、外気温9度と大変寒い状態での縦走となり、長谷川ピーク等緊張の連続ではあったが、登山者は少なくマイペースで通過出来たのは楽であった。
 北穂高小屋へ着くころには天気も良くなってきたが、体に疲労が溜まりだしバテぎみになってきた。天候が回復しそうであり、私の体調次第ではあるが明日は計画通り奥穂〜西穂〜上高地へと行くことに決定をして奥穂へ向かって出発する。
 涸沢槍、涸沢岳をやっとの思いで通過し、予定より遅れること35分穂高岳山荘に到着、岐阜大学診療所近くのテント場にテントを張る。テントは我々の1張りだけである。山荘の前の涸沢カールは一面雪渓となっており、冷夏の影響が感じられた。YNさんが幕営手続きをして戻り荷物を整理しているとき、表に出て来られた診療所の人は同じ職場のお医者さんとのことで、夕食後に西川さん以下我々2名も診療所での酒宴(?)に招かれた。
診療所は医師1名、男子学生2名と女子学生1名の4名のチームで我々と同じく19日に入山、天候も悪く入山者も少ないことから大きな問題は発生していないとのことでした。その後、岐阜県警山岳警備隊のお巡りさんが2名加わり、遭難訓練の模様や実際に起きた今年の冬山の遭難者救出の生々しい話を興味深く聞きました。2人のお巡りさんのうち上宝村勤務のお巡りさんは養老郡出身と身近な存在であり、高山署勤務の人は脱サラでお巡りさんになった人で、サラリーマン時代にセールスの仕事でこの診療所の医師と面識があったとのことで広いようで狭い世間を感じた一夜であった。
 翌朝は4時起床、朝食後診療所のスタッフの皆さんに分かれを告げ6時5分に穂高岳山荘を出発、奥穂の山頂に7時に到着する。360度の大パノラマを満喫する。記念撮影後西穂に向けて出発、ジャンダルムは登らずに通過をする。この頃から休憩しても疲れが回復せず、足が思うように前へ行かなくなってきた。特に鎖場やはしごでの急登に時間がかかるが、休憩をこまめにとってもらったり励まされたりして西穂を目指す。
 天狗のコル、天狗岩、間ノ岳を経て西穂頂上に13時35分に到着する。ピラミッドピークを越え独標にフラフラになりながら15時30分に到着するが、この時点で上高地18時到着が不可能になった。また、ロープーウェイで新穂高へ降りるのもタイムリミットの16時30分にも間に間に合わないことも分かったが、とにかく西穂山荘まで行ってから決めることになり出発する。
 17時に西穂山荘に到着、空腹を満たすためインスタントラーメンを注文する。この間にYNさんが上高地のタクシー会社へ電話で問い合わせをし、19時30分までに下山すればタクシーで平湯へ向かうことが出来ることになるとのことで、20分の休憩後出発する。朝はMK、途中からYN、最後の上高地への下りはEYと先頭が入れ替わり樹林帯の中の道を進む。下山開始後1時間で5分の小休止を取る。19時近くなると次第に暗くなってきたが、ヘッドランプを取り出す時間も惜しんで前へと進む。やがて19時30分を過ぎ、タクシーにも間に合わなくなったことでヘッドランプを取り出す。19時40分頃、前方に車のテールランプらしきものが見え、迎えのタクシーではと思いランプで合図をするが、車はそのまま走り去ってしまう。ここであきらめる訳にはいかず、西川さんが携帯電話でタクシー会社に連絡をとり再度迎えに来てもらうことになり安堵する。
 登山口に出て間もなくタクシーが来てくれ、やっとの思いで乗り込む。釜トンネルが20時で閉鎖となるが、何とか間に合うと運転手が説明して猛スピードで走り出した。夜も遅く対向車も殆どないが安全運転を願った。20時前に釜トンネルを無事通過し、平湯トンネルを通り駐車場へと向かう。駐車場へ到着するが入口ゲートが19時に閉まっており、ゲートを開けてもらうために鍵の管理をしているかもしれないという地元タクシー会社へと向かった。しかし結果はダメということで、平湯で1泊することになった。ここ地元タクシー会社の管理人のオバハンが宿を提供してくれるという親切に甘え、厄介になることになった。夕食後、風呂は向いの旅館の温泉を紹介してもらい4日間の汗を流した。
 翌日は4時30分に起床し、YNさんがアカンダナ駐車場へ車を取りに行き、一夜の宿のお礼をして5時に出発した。(あまり勘ぐりたくはないが、昨夜泊めてもらったのはオバハンの小遣い稼ぎのような気がした。)帰路はせせらぎ街道経由八幡ICで東海北陸道へ入り、各務原ICからR21で県庁駐車場へのコースで無事到着、解散した。
 今回の山行では初日に両足に痙攣、最終日にはバテてしまう等、予定時間が大幅に遅れてしまい、平湯で1泊することになってしまった。やはり体力不足が原因だと思います。しかし、仲間2人の励ましがあったから何とかコース全体を走破することが出来ました。今後の山行に備えトレーニングを十分行って体力増強を図っていきたいと思います。ありがとうございました。