追悼山行 槍ヶ岳

日時: 2003720~21

行程:

記録:MT、TK

 梅雨空の中、追悼山行のメンバー19人は、重いザックが肩に食い込み、腰に重みを感じ ながらも、無事に上高地から槍沢テント場に着く。 夕食は、すき焼きのご馳走を頬張りアルコールも頂き、ほろ酔い気分になる。  
 夜も更け、時折強く雨が降るテントの中で、シュラフに入り思いっきり足をのばす。 伸ばした足が、シュラフを通しテントに触れる。 「トン、トン、トーン、」と、心地よいテントをたたく雨のリズムを感じる。 あまりデコボコも感じない地面の上に横たわり、大地の暖かさを感じる。 そうです。、子守歌を歌ってくれているのです。 いつまで子守歌を歌ってくれていたのだろう……………。
 早朝、少し軽くなったザックを背負い槍沢左岸を登る。時々、雪渓が登山道を狭くしてい る。急峻な水俣乗越までの登りのきつさと、ザックの重みとで「こんなにえらくては、槍ま でいけるだろか…・?」「でも、自分の足が前に一歩出ている。」と自分で自分を慰める。ま た、足下には、ハクサンイチゲやシナノキンバイのお花畑で励まされる。
 厳粛な湯浅さんのセレモニーも無事に終え、目頭も冷めやらぬうちに皆さんの激励を受け、 縦走組3人と槍組2人は東鎌尾根へと出発。岩場を上がると、すぐにのロープがある(もう 一ヶ所ありそこでも散骨する)ここが事故現場らしいので散骨をすませご冥福をお祈りする。 さあー、いよいよ槍ヶ岳に向かってバテないようにと気合いが入る。Kさんが先頭に私 が二番手、事細かな神経を使ってくださり、東鎌尾根が短く感じました。ガスっていても北 アルプスの山容は素晴らしい。時折背には、燕岳が見え隠れして、左右大きなカールには雪 渓があり、雄々しき岩肌には、春と夏がいっぺんにやって来たように高嶺のお花が、色取り 取りに楽しませてくれる。Yさんが、一生懸命教えてくださる。足の痛みを忘れさせてく れる。静かに岩稜を歩くときは、石と石がぶつかり合い「カタ カタ」時には、「ガタ ゴト」 など、私は自然に酔いしれる。雨が、降ったりやんだり、天気だったら眼前に日本のマッタ ーホルン槍が高く聳えているのだろうにと思いつつも、また、挑戦できる楽しみがある。 東鎌尾根一番の難所、鉄のハシゴを下るのに三点確保でKさんご指導のもと、心の中で は、「みんなができるのだから…・」と、言い聞かせ、一歩一歩慎重に降りる。
 ヒュッテ大槍 を過ぎると、道標を過ぎ、まもなく槍ヶ岳山荘。もう、私は、感無量。人と人でごった返す 中、取りあえず、私の目に入った記念のスタンプを押しまくる。また、私でも東鎌尾根を来 たのだから、山頂も行けるよと言って下さり、再度感激する。でも、2時間待ちのために断 念して、縦走組にお礼とお互いの無事を祈って別れ、槍組女二人は、雨が降る中、槍沢を下 る。ガレ場がしばらく続く。太古の昔、氷河が刻んだという谷の斜面には、雪解けを待ちわ びたように、黄色のミヤマ
キンポウゲが背を伸ばし、キバナシャクナゲがうやうやしく咲い ている。時には槍ヶ岳山荘を目指すパーティと挨拶を交わし、私達を追い抜いていく若者パ ーティは、また会おうと約束し、大雪渓をバックに写真を撮ったり、真由美さんのお話を聞 いたり、自分の事を聞いて頂いたりと、とても自然体になれるのがうれしい。長く続く雪渓 では、時々、ザレてはいるものの、しりもちをつき北アルプスの自然を満喫する。雪解け水 でいっぱいの梓川の源頭からは、激しく流れる沢音を聞きながら、真由美さんもくたびれて いるのだろうに、へこたれそうな私を、励ましてもらい入浴時間すれすれに山小屋に到着。
 初めて泊まった山小屋は、お風呂があり、トイレはとても綺麗で臭くなく、大きな布団は、 通常の二人分を使わせて頂き、私がイメージしていたのとは雲泥の差でした。翌日、元気な 二人は、宿泊者がほとんどいなくなった山小屋を後にして足取り軽くなるも、もっと、山の 中を彷徨っていたい衝動に駆られる。雨の降る徳沢園では、テント泊された湯浅さんを偲ん でコーヒーを飲みながら休憩を取る、感慨深い忘れることのできないコーヒーになりました。 明神あたりから日が射してきました。西穂高縦走組さんはにっこりされたでしょう。 女二人無事、上高地でバスに乗り平湯で温泉に入りちょっと贅沢に飛騨牛をいただいて家 路に着きました。

(TK)

追悼山行を終えて

 Y夫人にお父さんお母さんは元気になられましたか?とお尋ねしたら、「今日の山も 実は反対でした」それを押して水俣乗越に立たれたY夫人の気持ちを思うと次に交わ す言葉がみつかりませんでした。水俣乗越からほんの少し登ったところに転落現場がありま した。、実に平坦で危険個所とは言えない所でした。なぜ??どうしてここから?ついうっか りにしてはあまりにも不自然な気がしました。疑問が残ります。あたりの景色も槍の穂先も この事故も総べて霧に包まれたまま追悼山行が終了したようでした。事故はこのようなもの でしょうか。すっきりしないのは私だけではないと思いますがこの辺で区切りをつけて新た な気持ちで山行取り組みたいものだと思います。 「快晴の空に浮かぶ手の届きそうな頂上が、私に語りかけてくるのである。さぁ来い、早 く来い、と山が呼んでいるのである。私は行かねばならぬ……YUASA」

(MT)