スリーパーダ2243 (山域 スリランカ・ 山行形態: ハイキング )

山行期間   2010322日(月)

メンバー;CL;KK、SL;TH、OY、OK、YM、TM、他一般2名

<行程>200ナラタニヤ宿発?530700山頂?1000ナラタニヤ

<概況>

T.スリーパーダは茶畑が一面に広がるヌワラエリアの南西部に位置し円錐形の形の
 良い山で周囲のどこからでもすぐそれと判り、信仰の対象として、崇拝されるのも
 頷けます。

  登山基地となるナラタニアの宿舎チルドゲストハウスから登山口までは数分の距離
 である。ここから道の両側にはみやげ者屋、飲食店、が延々と続く。涅槃像、祭壇も
 点在し仏教、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教の聖なる山で大勢の信者が山頂を
 目指す。なだらかな道が終わり休憩所、シャワー場がある川を渡るといよいよ急坂の
 登りとなる、すべて階段になり手すりも付いている。ところどころ照明も点いている
 のでわれわれ以外ランプ類は持っていない。ジグザグの急階段を上りきったところに
 建物があり、そこが頂上であった。

 頂上は来光を待つ人々であふれている。靴、靴下を脱ぎ、寺院に入る。仏足石があ
 るといわれる祭壇に賽銭をいれ、お参りをする。日の出が近づくと鳴り物が響き皆、
 固唾を呑んで東の空を見守る。空に赤みが差してくると何か荘厳な雰囲気である。
 やはり聖なる山の故であろうか。頂上の混雑を避けて下り始めた場所がビューポイン
 トであり、そこで刻々と移り変わる空や周囲を望んだ。

 帰路は明るくなった視界を楽しみ、山を振り返りながら下った。途中、道をわけ
 て純白の日本寺に参拝した。(記述;OY)

U.今回、大垣労山発足40周年記念としてスリランカ随一の聖地を登山することにな
 りました。
ナラタニヤ宿発が午前2時ということで、前夜のお酒は控えたつもりです。  
 最初は、皆ヘッドランプを点けて宿を出発しましたが、直ぐに街灯が山頂まで続い
 ており、ヘッドランプが活躍することがありませんでした。山頂まで街灯が続くのは、
 巡礼者がたくさん拝礼にくる聖地であることを現しているのでしょう。

山頂まで街灯のある山は経験したことがありませんので、通常の登山とは全然趣が違
 っていました。また土産物店や飲食店が所狭しと並んでいるのも巡礼者が沢山押し寄
 せることを物語っていました。
途中で巡礼者の人が大きな声のかけ声で子供達を励
 ましているようでしたが意味は分かりません。ガイドブックによると声を出し合うのは、
 頂上まであとどれくらいかを聞くのはタブーとされており神に反するとされる。そのた
 め、気をまぎらわすためにも声を出すらしい。
麓から山頂までコンクリートの階段が続
 いているのには、多少ビックリさせられました。
山頂の聖地は素足で入り額に赤い点
 をつけてもらい、仏陀の足跡に額を地面につけて拝礼してきました。足跡は白い布で覆わ
 れており見ることができなかったのは、残念でした。私は仏陀の足跡を見るものとばか
 り思っていましたので気の抜けたビールの感じがしました。
山頂で日の出を待ちましたが、
 スリランカであるにも係わらずフリースを羽織っていたのですが結構寒かった印象が強く
 残っています。
日の出を拝み、あたりが見えるようになると、日の出の方向の眼下に
 ダムがはっきりと見え素適な風情ある風景でした。帰りは回りがはっきりと見えるよう
 になり、下っていくとあちこちにゴミが目立ち改めて沢山の巡礼者が
訪れるのだと思い
 ましたが、聖地ならもう少し気配りした方が素適な場所に
なるだろうと思われた。
 全員ではないのですが若い女性でも麓から山頂までの1000m強の標高差を素足で
 登っている巡礼者が多かったことにも、ビックリさせられました。
今回のスリランカ訪問
 での印象は、メンバーに恵まれたと思いますが、とにかく楽しく過ごしたことでした。
 特にリーダーのKKさんが現地に通じていることで、より一層楽しい訪問になったと思
 います。
最初は抵抗を感じましたが、5本指で食べたカリー新鮮に感じおいしさも倍増
 しました。
地の利から中国とインドが競って投資の対象としており、スリランカはこれ
 から大きく成長を遂げると思われます。(記述;OK)

 V.ガイドブック(地球の歩き方)には、スリランカ随一の聖地(仏教徒、ヒンドゥー教徒、
  イスラム教徒、キリスト教徒)と紹介されていた。頂上にある足跡は、仏教徒は仏陀のも
  の、ヒンドゥー教徒はシバァ神のもの、イスラム及びキリスト教徒はアダムのものと信じ
  ているという。
我々は、夜中に登り午前中に降りてきた。頂上に至る道の大半は階段であ
  り、みやげ物店の灯りが頂上直下まで照らすので、ヘッドランプはほとんど必要がなかった。
  こんな山行、山は初めてであり、老若男女が互いに肩を貸し合い、若いカップルが子供を
  抱いて、しかもはだしの人もいる。宗教、民族を問はず、一つの聖地を目指して励ましあ
  い登るといった感じだ。
日本にも山岳宗教の山は数多くあるが、スリーパーダは異質のも
  のを感じた。午前中には降りてきて、昼食に食べたインディ・アーッバ(米粉を練って型
  から出したもの)がとても美味しかった。(記述;TH)

 W.スリーパーダへの道が90%階段でしかも半分以上はコンクリートにヘエ〜。日本の夏祭
  りに出かけるような雰囲気の人出のなか、裸足で、古タイヤ製草履で、元気な若者達もい
  たが、赤ちゃんを抱いたり老人を支えたりの家族も多く、急ぐのでもなくマイペースで登
  っていた。世界の三大宗教の聖地になっているのは、物乞い引ったくりもないスリランカ
  の穏やかで心広い性情?にあるのかもしれない。 
去年インドで仏陀の生涯を辿ったとき、
  不潔さと貧富の格差、食の辛さについていけずお腹も壊したので、今回は舐めるだけのつ
  もりが、高藤さんの嬉々とした食べっぷりにつられ食べ始めたら大丈夫だった。生野菜・
  果物もOK。バスから見えた畑は日本風の作付け方で、田舎でも町並みに不潔感はなく好感
  が持てた。(帰国して食べた日本のカレーは以前のように美味しく感じられず。)

    「シーギリヤの天女」の絵を見れたのは幸せ!2〜3世紀に書かれたという絵がやわらか
  い感じにはっきり残されており、風雨、暑さの激しい岩山中腹に良く残ったものだと人生
  と比べながら感慨深い。 
最終日のお寺は、岩を掘った大きな3個の横穴に人間より大き
  な仏像が十数体ずつ並べられ敦煌にも少し似て面白かった。御参りをしたらお坊さんが白
  糸を右手首に結んでくれ、帰国して1ヵ月以上になるが、薄汚れても切れずにまだ付いて
  いる。
象に逢えなかったのが残念、今度逢いに行くゾウ〜!それにしても、KKさ
  んの事前準備・気苦労大変だったと思いました=商業ツアーでは行けない処も解説付きで
  お世話になり、本当に有難うございました。(記述;YM)

 X.暑さを避けて、二時出発の真っ暗な登山が始まったスリーパーダである。登山道の両脇
  にある土産店などを見ていて海津市のお千保稲荷とそっくりで和む。珍しい食べ物もあり
  興味をそそるが、我慢して歩く。
最初から階段で、まさか最後まで階段が続くとは思わな
  かった登山道であった。よく踏まれた箇所は石がへこんでいる。その階段は高度を上げて
  くると急になってきつい。足の長さを必要とする階段だ。
途中仮眠をとっている人達もい
  た。また日本でいうなら御嶽山に登る信者達の六根清浄の掛け声だろうか。スリランカ版
  があるようで現地の人達に混じり一緒に声を上げ登った。現地の人達は裸足、若しくはサ
  ンダル履きで登っている。足の裏は靴の裏底のようになっているのかと驚いた。
山頂は大
  勢の信者や観光客でごった返している。山頂に建つ小さな寺院は神聖な場所だけに、習慣
  に従い裸足になる。二箇所でお布施を出し礼拝をすませ、多くの人達と共に日の出を待つ。
  やがて、太陽が昇る瞬間になると待っていた信者から歓声が上がる。感動の瞬間に浸って
  いたら、他のメンバーはすでに下山したらしくもういない。混雑している登山道を急いで
  下山する。
下山も石の階段は足の短い人間にとってつらい。延々と続く階段に閉口しなが
  ら下るが、現地の人達の様子を見ながら楽しんで歩くことにする。子供達は明るく、元気
  いっぱい。大人もそうだ。
色々と考えさせられることがいっぱいあった、スリーパーダ山
  行だった。
(記述;YM)

 Y. スリーパーダに登るのは今回で2度目だ。最初に登ったのは2002年の夏だった。そのと
  きはまだ登山には全く興味がなかった。有名な巡礼地なので登っておいても損はないとい
  う程度の気持ちで登ったにすぎない。山の知識はほとんどなかったので、水もたいして持
  っていかなかった。ガスと強風で山頂付近は予想以上に寒かった。ただ言うまでもないが、
  達成感はあった。
前回の登頂から8年がたっていることになる。その間いろいろなことが
  あったが、自分にとって最大のできごとは登山に目覚めたことだ。人間というものは本当
  に一瞬にして変わるものだと思う。それ以前は、「何で苦労して山などに登らなければな
  らないのだ」などと考えていた。それが今では、多少大げさかもしれないが、山なしでは
  生きていけないと思うほどだ。労山に入り、多くの人と知り合えたのも、全く予期しない
  展開だった。
私が山にはまったのは2002年秋のことである。つまり、これは今初めて気づ
  いたのだが、スリーパーダに登ってわずか23ヶ月後のことだ。秋のよく晴れた日に百々
  ヶ峰に登った。その時から山から離れられなくなった。この岐阜市の低山に登ろうと思った
  のはただ単に健康のためであった。健康診断の結果のなかに、何か運動をするようにと書い
  てあったからだ。しかし夏にスリーパーダに登ったことがその時の決断に影響を与えていた
  のかもしれない。登山以外にも運動はあるからだ。ということになると、スリーパーダは僕
  に山に登るきっかけを与えてくれたものの一つと言えるかもしれない。
8年ぶりのスリーパ
  ーダはほとんど変わっていなかった。今回は巡礼シーズンだったからとにかく人が多かった。
  天気がよくて山自体もよく見えたし、山頂付近からの展望も素晴らしかった。しかしそれ以
  外は昔のままだった。山は山だし、基本的に何度登ってもいいものだ。ただ、前回はたまた
  ま出会った数人の巡礼の人たちに連れて行ってもらった。今回は僕が労山の人たちを案内した。
  喜んでいただけたことが何よりもうれしかった。
(記述;KK)