ドウの天井(西ケ洞〜箱洞

山行年月日: 1987/8/1/2

地形図: : 5万図能郷白山、2万5千図/平家岳・下大須

記録者: OT

コースタイム

記録

 奥美濃教徒垂涎の地とまで言われた川浦谷群の中央に君臨し、膨大な体積を誇るドウの天井。この山に源を発する谷は数多いが、中でも最も長大なのが西ケ洞であり、正に巨渓と言っても過言でない。川浦谷の各支流の特徴を表して「本流の豪壮、箱洞の繊細、西ケ洞の典雅、内啣洞の明朗、日河原洞の陰惨」とは中庄谷直氏の言葉である。我々はこの典雅な流れを遡ってドウの天井の頂きに立ち、箱洞を下降して銚子滝の豪壮さに感嘆して帰ってきた訳であるが、上流部で進行中のダム工事の影響が各所に現れており、幽幻な渓谷美に酔いながらも度々現実の世界に引き戻されたのであった。

 早朝小雨の中を林道から西ケ洞出合いやや上流へ下降する。雨に濡れた川浦谷本流の様相は壮絶で、緊張に身が引き締まる。西ケ洞は本流に直角に流入しており流量も多い。両岸が立ったゴルジュ状の狭隘部の底は一面美しい砂礫に覆われ、音もなくガラスの様な水が足元を通過していく。素晴らしい出合いの景観だ。その上流はすぐゴルジュとなり左岸をへつって通過する。谷はやがて開けて河原をいく。両岸とも20mほどの崖で、時折支流が滝となって合流する。

 左岸に流量の多い滝を二本見送ると再びゴルジュ状となり深いトロが続く。エメラルドグリーンの水を満々とたたえた大きな淵が現われ、西ケ洞の全水量がテーブル状の滝となってなだれ込んでいく。やがて西ケ洞は南から西へ方向を変えるが、変換点には支流が多段の滝となって轟音とともに合流している。この付近はゴルジュが続き、難しいへつりで突破する。大山田谷を分けるとかなり水量が減るが、小山田谷までは巨岩の積み重なるゴーロで、ぐいぐい高度を上げる。両岸見上げるほどの岩壁である。小山田谷出合い上流に懸かる二段6mの滝の通過が遡行上のキーポイントである事は多くの資料から分かっていたが、果たしてそれは直径30mはある淵の彼方に落下しており、周囲は全て50m以上の垂壁。淵に踏み込むとすぐに足が立たなくなる。深い。泳いで戻るはめになった。ここは定石通り右岸の支尾根に取り付き高巻く。100m近く登ってからザイル確保で上流へトラバースし、下を窺う。滝の真上あたりだが、ザイル確保で下降に移る。途中二回の懸垂。最後にいやらしい草付をトラバースして本流に戻る。ここから上流は穏やかな流れとなる。左からイタゴ洞を合わせ、西ケ洞は更に北へと向きを変える。河原とナメが交替して続き、時折思い出したように滝を懸ける。三段の凹穴滝、岩棚滝いずれも右岸を通過する。

 越田土からのダム建設道路が鞍部を越えて西ケ洞の流域に入り込んだやや下流の標高900m付近がダムの建設予定地らしい。排水トンネルの排出口の上流でコンプレッサーのホースを試掘口から引き出している三人の作業員に出会った。上流は既にすっかり伐採されて河床にはブルドーザーが走った跡がある。ダム本体の建設はまだ先の事らしいが、伐採線はほぼ1000mのコンターに沿っており、ダムができればここから上流への遡行は不可能となるであろう。

 西ケ洞はこの上流で連瀑となり、息をつく暇も与えず高度を上げる。最後の20m15mの二段滝はアンザイレンして左岸を慎重に高巻く。滝の上流は嘘のように穏やかな平流となり、流れの横に平坦地を見つけてテントを張った。 夜が明けるとまずまずの天気、西ケ洞の最源流をドウの天井目指して遡る。岩床と砕石の河原は無限に続くかのように思われる。それでも支流を一本また一本と左右に分けるとやがて水も枯れ、本流が怪しくなると頂稜めがけての薮こぎとなる。振り返れば遥かに伊吹山の姿、そして黒々と連なる奥美濃の峰々。山頂で大垣労山のプレートを見つけた。1980年から7年の歳月に耐え輝くそれは、樹の成長により半ばめり込むようにして打ち付けられていた。

 30分ほど展望を楽しんだ後、北へ箱洞を下降する。最近の集中豪雨のためか荒れ果てた急峻な谷で、途中残置ハーケンを利用した懸垂下降があった。下流域はナメ滝が連続して美しい景観が続く。ここまで厳しい渓谷をトレースして来た身には尚更心を和ませる優しさを感じさせてくれる。
 やがて銚子洞との出合い、圧倒的な水量で合流する川浦谷本流である。逸る心を押えて岩質の異なる滑り易い岩を跳んで上流に向かう。谷は前方で折り返すように右へ屈曲する。谷中に轟く爆音と舞い上がる水煙、紛う方なき銚子滝の雄姿がそこにあった。我々は小一時間ほど飽かず滝を眺めていた。膨大な水量を吐き出し続ける銚子滝を眺めていると、川浦谷、更には奥美濃の山々の底知れぬ神秘さに憑かれて、陶然となった自分に気がつくのであった。次はこの滝を越えてみよう。渓はどんな姿を我々の前に披露してくれるであろうか。

 銚子滝を後にして本流を下降し、石門を目指す。石門は内 洞出合いの上流、林道が鉄橋で横断している地点にあり、両岸の岩壁が迫りゴルジュとなった上にチョックストンが載って、通過困難な地形上の要衝である。ザイルを出す。これが最後だ。ザックを背負ったまま山根さんが流れに入り泳ぎ始める。難なく泳ぎ切った山根さんに続いて僕も泳ぐ。水が奏でる豊穣な調べ、光りと音の饗宴、渓谷が歌い上げる官能の限りを尽くした交響楽のフィナーレは近い。