金草岳・大ジラミ谷

かなくさたけ(1227.1m)    おじらみだに

日  程1997年5月27日(日)

メンバー尾根コース: SI

     沢コース : HT(CL), OS(SL), ET(記録)

天  気曇り/

行  程大垣6:00=大ジラミ谷橋8:00-大ジラミ谷8:20-金草岳10:20/12:00-桧尾峠13:10-ソバコ又林道13:40=大ジラミ谷橋14:00=大垣16:30

地形図2.5万図:宅良、冠山 5万図:冠山

 HT氏の雪辱戦、そして、「滝つぼ」5月号の「いざない」に「人に誘われることもなくなってしまった。また誘うこともない。」と寂しいことを書いておられたSI奥美濃顧問を尾根コースにお誘いするという氏の粋なはからいで今回の山行は企画されたされた。私にとっても沢登り初体験となった。
 金草岳は越前側の呼称で金糞岳と同じ金屎(鉱滓)が名前の由来であるようだが、美濃側には名前がなく県庁発行の森林基本図では「塚奥山」となっている。前日の雨もあがり、平地では晴天となったが日本海側に寒気団が入っており、越美国境の雲は晴れない。大ジラミ谷に架かる橋のたもとに車を止め、ジャンケンで負けたHT氏の露はらいで林道を1kmほど進む。途中、林道は大きく崩れており、車で谷との出合いまで進むのは無理である。出合いからすぐ左に枝谷があり、20mはあろうかと思われる直瀑がチムニーの中を落ちている。HT氏の昨年9月の一度目の挑戦で、いきなり左の枝谷に入りあえなく敗退したとのこと。確かに吸い込まれるように美しい滝である。
 高校の柔道部でプロレスの技を研究していたHT氏は豆絞りのピンクのバンダナがやけによく似合う。登山家というより格闘家といった気迫で雪辱戦に燃え、小滝をすいすい登っていく。私はウエーデイングシューズのフリクションを確かめながら恐る恐る登る。ブッシュは雪の重みで根曲がりして下を向いており、ゴルジュをへつる時の良い手がかりとなる。
 ところが、私が3mほどの小滝の側壁をへつりながら登って行ったとき、手がかりとしたブッシュで滝つぼに眼鏡を払い落としてしまった。釜は小さいがかなり深い。坂田氏が肩まで手を突っ込んで手探りで探してくれる。が、この時、彼の手が岩のぬめりで滑りOS氏の眼鏡も釜に消えてしまった。眼鏡の二重遭難である。HT氏のパジェロの鍵といい、この谷にも夜叉ヶ池と同じように龍神が棲むのであろうか。坂内村川上地区には金物を携帯して夜叉壁より先には行ってはならないとの禁忌(タブー)が残っている。はたまた金草というだけあって、多くの女性と同じく「光り物」を好む女神が棲んでいるのであろうか。どちらにせよこの谷にはなにか因縁めいたジンクスがあるようだ。
 この谷の核心部3m 5m 10mの連瀑を高巻こうとHT氏が左岸の切り立った岩壁にトライしたが、私と坂田氏の意見で右の枝沢を大高巻きしようということになり、HT氏が戻るまで、私が約50cm幅の雨でぬかるんだ泥付きのテラスで待っていると、突然左足が後ろへ滑り、崖から後ろ向きに転落した。崖が何メートルあったかなど覚えていない、「あっ、だめかもしれない。まあいいか。」と落ちるに身を任せた。幸い崖の高さは3mほど、下の枝沢に腰から着地した。肘と腰にかすり傷を負っただけで、骨には何の異常もなくすぐに立ち上がる。OS氏が心配するが、「だいじょうぶ。」と答える。顔はひきつっていたことだろう。フェルト底のウエーデイングシューズは濡れた岩では威力を発揮するが、ぬかるんだ泥付きではフリクションはほとんどたらかない。まるで河童に足を引っ張られたようだった。
 遅まきながらヘルメットをかぶり、枝沢を大高巻きし、根曲がりしたヤブにしがみつきながら元の谷に戻る。この核心部を過ぎ、急坂だが危ないところはほとんどない源頭部をつめる。2mほどの小滝の上が源流である。やはり源流をつめるのは沢登りの醍醐味である。あとは旧約聖書の出エジプト記でモーゼに導かれたヘブライ人のごとく、海ではないがヤブの割れた涸れ沢をつめる。ヤブに突っ込む前に小休止、ヤブこぎの達人、OS氏の先導でヤブに突っ込む。2級程度のまだ楽しめる笹ヤブ。やはり雪で根曲がりしておりヤリブスマに突っ込んでゆく感じである。韋駄天OSは遥か前方、もう稜線に達し、獲物をねらうマサイ族のごとく、カメラを構え、私たちをねらっている。稜線に出るとササが広い範囲でなぎ倒されている。どう見ても熊があばれたあとだ。あまり気持ちの良いものではないが、恐れることはない、なにしろこちらには「熊殺しのHT」が控えている。
 金草岳の山頂はヤブも刈られ、ながめはよい。雲で遠望はきかないが、南西に釈迦嶺がおだやかな稜線を左右対称に広げている。東には冠山がとがった冠を雲天に突き立てている。OS氏とHT氏が登ってきたルートの検証を行う。百点満点とのこと。3人で祝杯をあげる。尾根から来るはずの稲葉顧問の姿がない。一つ東のピーク白倉岳の手前にその姿を発見し呼びかける。10分ほどして顧問が到着。あらためて祝杯をあげる。待ちくたびれて下山している途中で呼び戻されたとのこと。よく見れば枯れ葉に顧問の書き置きが残っていた。
 アジミ谷を下る予定であったが、雨も降りだし尾根道を下ることになる。ウェーデイングシューズを購入する際、楽山荘のオヤジにすすめられて買った車の亀の甲チェーンのような簡易アイゼンを付けてみる。OS氏とHT氏はぬかるみに足を取られ、ズルズルこけているが、私はぜんぜんすべらない。なぜ高巻く時に付けなかったのか悔やまれる。
 下りは登りとうって変わって、SI顧問の自然観察教室になる。尾根道は踏み跡もしっかりしている。越前側は枯木が多いのは気になるがブナが主体である。ナナカマドを見つけ神岡の住人の受け売りで、この赤い実が精力剤になると話すと、愛妻家のHT氏が興味を示す。最近、精力が減退気味だとこぼす。すかさずIS顧問が陰干ししてホワイトリカーかブランデーに浸けて飲むと良いと教えてくれる。七回かまどに入れて燃やしても燃えないナナカマドは自らは真っ赤に紅葉し、人も燃焼させるとはおもしろい。OS氏は山梨の白い花が気に入ったようで一枝手折る。HT氏が本場関西じこみのウケねらいのボケをかます、「ホーホケキョと鳴くのは何という鳥か?。」と。これではツッコミようがない。桧尾峠にブナの枯木があり、樹皮に「ツカ」と刻んである。ツカとは旧徳山村最奥の集落「塚」のことである。SI顧問はこれを写真に収める。民族学的には面白い資料である。峠から美濃側の稜線の下がよく見える。越前側のブナ林に対し、美濃側は杉の植林が終わっており残念な姿になっている。まだ2〜3mしか成長していないので視界はきくが、5年のすれば視界はきかなくなり、全くちがった景観になっていることだろう。登るなら今のうち、ナナカマドもある事だし、秋にもう一度こようと考える。桧尾峠からソバコ又谷(2.5万図にソバク又とあるのは間違い。)の源流部に沿った踏み跡をたどる。途中ザゼンソウがところどころに鎮座ましましている。愛妻家のHT氏はおみやげにヤマブキを摘んでいる。ソバコ又林道に出ると「布滝」が目に入ってくる。そのまま掛け軸にして床の間に飾りたいような美しい景観である。
 しばらく林道を下り、稲葉顧問の車に泥足を気にしながら乗り、大ジラミ谷まで乗せていってもらう。「転落」に「眼鏡の二重遭難」と、あまり良いことはなかった初めての沢登りではあったが、様々な状況に対応してゆくおもしろさ、山登りのスポーツとしての側面が感じ取られた有意義な山行となった。

(記録 ET)

一口メモ

地名については「岐阜県揖斐郡ふるさとの地名」揖斐郡教育委員会編集を参照しました。

HT氏ならびに夫人は高校の同窓につき失礼なことを書いたと思われるかも知れませんが、なにとぞお許し願います。

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