美束 西谷支流 加野内谷-中ノ谷

日  程 ■1999613(日曜日)

天  気晴れ

メンバーOS(CL) ET(記録)

行  程揖斐粕川橋橋詰 6:30=林道駐車場7:20/7:40-稜線11:40/12:20-コル12:55-林道駐車場14:30/15:00=揖斐粕川橋橋詰 16:00

地形図 ■25千図 美束

 「本当に美しい風景は、めったに教えたくないですね」と、氏はつぶやきました。私もまた、同感です。別段、秘密にして楽しむわけではありませんが、人が多く訪れるにともない、風景の汚染や破壊が、残念ながら連動してもたらされるのも事実です。本当に美しい風景は、それを求め、自分の足と目で発見できる人のためにこそ残しておきたい、そう願うのはごく当たり前のような気がします。「秘境」が商品化され、観光資源化されることが一般的な状況では、大切なところは見せない、教えない、行かせないほうが、正しいことなのでしょう。長い時間をかけてこそ発見できるものや場所、それを持ち続けることが、実は故郷への愛着、誇りに支えられていることを、私たちはもっと理解すべきであろうと思います。

林進著 「森の心 森の知恵」より

 粕川橋のたもとの公衆便所は「金糞岳へ行くときの集合場所にちょうど良い。」などと、わけの分からないことを考えながら、大きい方の用を足す。ほどなくしてOS氏が到着、ジムニーのガソリンが少ないとのことで、私のジャパニーズピックアップ「軽トラ」で目的地に向かう。OS氏の代わりにメリル ストリープ並の美女に乗ってただければ「揖斐郡の橋」になっていたかもしれない。やはり、日本の山村原風景には、はやりの4WDより「軽トラ」の方がよくなじむ。目指す加野内谷-中ノ谷は、昨年のブンゲン 大岩谷-竹屋谷-大平谷(おおだいらだに)、国見岳 尾西谷-岩井谷に続く、春日村美束花崗岩の沢シリーズ第三段である。 
 小学校の低学年の時、学校から歩いて10分とかからない根尾川の河原で、石を拾う理科の授業があった。そのとき友達の間で珍重されたのが「ごま塩おにぎり石」、花崗岩である。今思えば、それは、根尾川の源流部、我が能郷白山から流されてきたものであった。昨年、ブンゲン大岩谷で春日村美束一帯が花崗岩であることを「発見」した。ちょうど「ごま塩おにぎり石」を見つけたのと同じ気分である。今の「学習指導要領」に石拾いはあるのだろうか。自然は今も昔も偉大な先生である。
 HTやOS氏にはケチョンケチョンに否定されるのだが、私は美束一帯は貝月山を中心とした火山であったと確信している。なにも平安時代や縄文時代に火山活動があったと言っているのではない。赤坂のフズリナの化石に代表される古生代に生成された石灰岩と接する国見岳の尾西谷で、熱変質したドロマイトを見ることができた。中生代に火山活動があったのであろう。それが地上であったか海底であったかは確信が持てない。2.5万図「美束」及び「横山」をご覧になれば花崗岩帯は、浸食が進み、小尾根が発達して、はっきり区別できる。花崗岩と他の地質との境は、国見峠、国見岳、鎗ヶ先、鍋倉、桧尾とほぼ円をなしている。滋賀県側はよくわからないが、貝月山の西側の奥伊吹スキー場も花崗岩で、昔、スキーのエッジを痛めた記憶がある。これらは外輪山をなしている。その中心に貝月山が位置している。外輪山の大きさから言うと、相当大きな火山活動があり、3000メートルに達するような独立峰をなしていたであろう。やがて、中央部が陥没し、浸食され、美束の村々が点在するカルデラを形成したと考えられる。昨年秋、国見岳に登り、第二電電の中継所のヘリポートから北を眺めたときその考えに確信を持った。
 花崗岩の沢がなぜ良いか、沢登りをする人間は変態扱いされる大垣勤労者山岳会の多くの方々に理解していただくのは難しい。誤解を恐れずその良さを列挙すれば、岩が白く、沢全体が明るく感じられる。岩塊が浸食されてできた沢であり、スラブ(一枚岩)を流れ落ちるナメ滝、ナメ床、クラックが浸食されてできたルンゼを流れる樋状滝、これらが良く発達している。花崗岩の表面はざらついており、フリクション(摩擦)が良くきき、歩きやすい。

 美束の○○集落から××林道へ入り、90度方向をに変えたところに◎◎を栽培しているところがある。その手前に駐車スペースがありそこに車を止める。未知の沢なので、装束はフル装備である。◎◎の栽培地の間の杣道を抜け赤い橋を渡ってしばらく杣道をゆくと沢が現れる。釣り師がはいっているのいるだろう「正ちゃんミミズ」の容器が落ちていた。杣道は続いているがすぐ沢に入る。昨年行った大岩谷にくらべ流量は少なく岩もぬめっている。ナメや滝はこじんまりしているがよくまとまっている。7メートルほどの滝で1カ所左岸を巻いたが、あまりてこずるところはない。それらにもまして、目に付くのはトチノキの大木である。人間の遺伝子(DNA)はチンパンジーのそれと97パーセント同じだという。すばらしい森を見て野生に戻ることのできるのは、山根さんや坂田さんだけの特権ではない。少なくとも1メートル、大きいものでは3メートルに達するような巨木と呼んでよいものまである。高さも20メートルほどあり、枝も直径20メートルほど広がっており、緑の天蓋に谷全体が覆われ、神々しいくらいだ。ここまで大きくなると、切り倒すには相当の覚悟がいる。鎗ヶ先、寺谷の記録にも書いたが、ここ美束には「栃の木権」という不文律があり、昭和の初期まで不動産所有権とは切り離された形で、トチノキを共有してきたそうである。美束の森林の美しさはトチノキに限ったことではない。よく整備された林道に始まり、標高700メートルほどまで沢沿いの人工林と混在する杉の人工林も30年はたっており相当立派である。しかも、間伐、下枝打ちは完全に行ってある。日本の林業が経済的にたちゆかなくなった今、放棄されたような森林が多い。頭の下がる思いである。
 「山村に住む人が森林を整備するのは当たり前である。」そう思っている都市住民は多い。そう思っている人に限って、森から受けている計り知れない恩恵に気付いていない。水都と呼ばれる我々が住む大垣市の水道水、及び紡績、染色、化学工業に不可欠な工業用水のほとんどは川から取水された水でなく、地下から汲み上げられた清浄な地下水である。これらの地下水はちょうどこの辺の森で作られたものである。森に降った雨の35パーセントは土壌に吸収され地下水となる。40パーセントは葉や枝から蒸発し、気化熱を奪い森の気温を下げる。残り、25パーセントだけが沢を通り川に流れる。特に落葉広葉樹の森では、落葉が堆積してできたスポンジのような土壌により吸水力が大きい。また大雨時の出水抑制、土壌流出に対しても、森のもっている機能は計り知れないものがある。
 我々のように楽しみで沢を登っているだけでも、結構ハードなスポーツである。得るものは微々たるもの、しかも数十年も先なのに、立っていることもままならない急斜面で下草を刈ったり、間伐したりすることを山村の人々に誰が強要できようか。
 さらに、都市で出る廃棄物を山間部に処分という名のもとに遺棄しようとは、山村を冒涜することだけでない。地下水や川を汚染し、自分で自分の首を絞めることになるのは、明白である。どちらにせよ、環境破壊は気付いた時にはもう遅いのである。
 脇道から沢に戻るが、標高800メートル付近からトチノキは見られなくなり、ブナの林に変わる。源流部は大石がごろごろしてなかなかやっかいである。かなり濃いヤブを漕いで稜線に出、南に下りヤブの薄いところで昼食とする。虫を追い払いながら冷えたビールで乾杯する。500メートルほど南下し、滋賀県側に降りないように注意しながら、コルから急坂を下り沢の源流部のヌタ場に出る。こちらの沢は登りの沢にくらべ流量が少ない。途中、10メートルと15メートルの連瀑があり、上部の10メートル滝を懸垂で下る。やがて、元の沢に出て人工林が目に入る。坂田氏が杣道を探し出しそこを下る。点在する人工林にいくつもの炭焼き窯のあとがある。ここから美束の村まで炭を担ぎおろしたのだろうか、相当な距離がある。それは多くの場合、女性の仕事であったであろう。 あと20年すれば、立派な杉林になっていることであろう。それまで、この美束の森が守られていることを祈りたい。

一口メモ

 林進 1940年生まれ。和歌山県出身 京都大学農学部林学科、同修士  課程修了。農学博士。現、岐阜大学  農学部教授。 

 「森の心 森の知恵」林進著 学陽書房刊 1996720日初版発行 1999年入試センター試験 国語・・の第一問の問題に使用された。

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