黒法師岳

くろほうしだけ(2067.4m)

日  程1998年11日 〜 1998年1月4日 (3泊4日)

メンバーHT(CL.気象.渉外), OS(SL.食糧), HI(アドバイザー),YM(食糧), ET(装備.会計.記録)

行  程
1月1日 曇/
棚橋邸13:00=東郷サービスエリア14:00 =水窪湖19:30

1月2日 晴
起床300/4:45=林道車止4:50-野鳥の森8:20/8:50-麻布山11:55/12:15-前黒法師山13:45-幕営地14:15

1月3日 快晴
起床5:00/6:50-バラ谷ノ頭9:00-黒バラ平9:30-黒法師岳11:00/11:45-バラ谷ノ頭13:00   -幕営地15:10

1月4日 雪//
起床4:00/7:00-麻布山東屋8:00-戸中橋10:15-休憩所10:50/12:00=湯谷温泉=棚橋邸18:00

地形図2万5千図:水窪, 寸又峡温泉, 門桁 

 

1月1日

 近年の正月はますますその「正月」らしさを失っている。元旦はお雑煮と形ばかりのお節料理を食べ終え、近所の氏神様に詣でると、女房は今年から1日から営業しているスーパーの福袋を求め駆け回る。おかげでHT邸からの出発が少し遅れる。
 途中、羽島でM女史を、東名東郷パーキングエリアでI氏をピックアップ。初詣の渋滞情報を気にしながら豊川インターで高速を降り、国道151号線を鳳来寺方面へ向かう。鳳来寺から先は私にとって未知の道だが、南ア深南部のオーソリテイー石川氏のナビゲートで迷うことなく水窪(みさくぼ)ダム湖畔に着く。
 そこから林道へ入ったとたん、頑丈なゲートがラルゴのヘッドランプに浮かび上がる。これには皆、唖然!?。鍵も特注の頑丈な物でとても開けられない。入山予定地の「野鳥の森」まではまだ1213Kmはある。水窪の町まで戻り、民家で山住神社方面から林道に入れないかたずねてみるがそちらのゲートも閉まっているとのことである。渉外担当のHTは営林署にちゃんと入山許可を取っており、地元のタクシー会社にも道路情況を確かめているのにと悔しがる。
 あきらめてダム湖畔の休憩所で寝ることにする。完全に囲われていないが、ベンチもありテントも張れた。M女史が持参してくださったカニでカニすきを作る。やはりカニを食べる時は皆無言だ。新婚O氏が差し入れしてくれたジョニ黒もすぐに空になった。

 

1月2日

 3時起床。朝食を取り、身支度を整えダム堰堤を渡る。幸い昨日の雨は上がっている。ゲートまではほんのわずか。アイゼン、ピッケル等本来の冬山装備はほとんど持ってこなかったが、それでもザックの重さは20Kgを超えている。ヘッドランプの明かりを頼りにゲートを乗り越え歩きだす。ここから標高差700m全長13Kmに及ぶ林道歩きが始まる。前日の雨で凍てついた道を注意しながら皆黙々と歩く。
 途中、尾根に取り付けないかとOS氏がレポに出るがヤブが濃く重荷を背負っては登れないとの報。標高1000mを超えたあたりから道には雪が積もっている。道は幾重にも蛇行しており、なかなか先が見えてこない。歩くこと3時間半、だいぶ日も高くなったころやっと「野鳥の森」に到着。皆、疲労困ぱい。30分程休憩し、行動食を取る。やはり林道歩きはつまらない。
 気を取り直して、麻布山への登山道に取り付く。山頂まで標高差500mほど、林道と平行している斜度の緩やかな尾根を登る。景色は一転し、ミズナラ、ブナなどの自然林がやさしく迎えてくれる。少し積もった雪が心地良い。ザックの重さも気にならない、足取りも軽くなるから不思議である。この登山道も公共事業の対象になっており、階段が切ってある。歩幅にぴったり合い、そう苦にならない。
 山頂の手前で少し急になるが 2時間ほど、12時に頂上に着く。頂上は台地状で広い。「麻布神社奥宮跡地」と看板があり、その上にユーモラスな天狗の面が掛けてある。坂田氏は森女史に良く似合うと、その天狗の面をバックに彼女を写真に収める。ちなみに、MY女史には「ツキヨタケ」をバック撮った写真が一番似合っているとのこと。物腰に似合わず、なかなか意地が悪い。三角点はここから少し離れた所にある。だだっ広くて案内標識が無ければとても見つけられない。麻布山 標高1685mの標識があり、皆で記念撮影。
ここで水窪湖の奥、戸中から登ってきた登ってきた二人連れに出会う。一人は雪の中、スニーカーをはいている。えらく軽装である。3時間で登ってきたとのこと。林道も登山口にあたるダム湖に架る吊り橋まで車で入れるらしい。I氏はこのルートについてちゃんとアドバイスしたが、皆よく聞いていなかったようだ。あの林道歩きは何だったのか、皆残念がるが、人の話をよく聞かない方が悪い。下りはそのルートで下山でき、林道歩きが無いと思うだけで気が楽になる。
ここから一時間ほどで前黒法師山(1781m)に着く。幕営地はまだまだ先、少し休んで下ってゆくとヤブが背の高さまでとなる。前方には深い谷が切れ込んでいる。笹に赤テープが巻いてあり間違い無いはずだが?。 歩き始めて9時間、重荷で下って登れる情況ではない。しかも14時を過ぎている。冬山は早く切り上げ、明るいうちに幕営の準備をしないといけない。幸い雪はたっぷりあり、水はどこでも確保できる。前黒法師山の方に少し戻り、登山道上に平地を見つけ幕営地とする。林に囲まれ、風もあまり通らない。テントを設営し、まだ暖かいので外で、雪を溶かし水を作る。水にごみが入り、ガーゼでこさなければならないが、装備担当はそんな気の回る人間ではない。しかたなく、私が持ってきた予備のバンダナを使用するが、それがパンツの上に重なっていたことは誰も知らない。サラミと乾燥ニンニクたっぷりのOS氏特製のエチオピア風ビーフシチューを食べる。翌日、私の2m以内に近ずくと耐え難い匂いがすると、OS氏は近づかない。

 

1月3日

朝明るくなってから行動しようとちょっと遅めの5時に起床。朝食を取り、サブザックに行動食と非常用装備だけをつめ7時に出発。昨日に比べ荷は軽く、足に羽根が生えたようだ。昨日ヤブに突っ込んだ手前、尾根の北側にトラバスするルートを発見。昨日のルートは間違っていたことに気づく。そこからはオオシラビソやブナの大木が続く亜高山帯のすばらしい尾根となる。ヤブも短く刈られており、見晴らしも良く歩きやすい。I氏によれば数年前まではすごいヤブ漕ぎだったとのこと。
ここでは自然が主役である。ウサギ、シカ、犬科の動物(キツネ?)のおびただしい足跡が道案内してくれる。クマの鋭い爪痕が大木にきざまれている。彼らは冬眠中のはずだがあまりいい気はしない。私は鳴き声しか聞けなかったがM女史とOS氏は日本鹿を見つける。キツツキのコロニーなのかボコボコに穴のあいた枯木を見つける。HTが「ウグイスが開けた穴か?」と金草岳以来のボケをかます。私にはスペインのバルセロナにあるガウデイー設計の聖家族教会の尖塔のように見えた。HTはこれがいたく気に入ったようで、いっしょに写真に収まる。
幕営地を出て2時間ほどで三角点も正式な名称もないが、日本最南端の2000m峰とされているバラ谷ノ頭、またはバラ谷山(2010m)と仮称されている山頂に着く。頂上は木が少なく展望は素晴らしい。ここから黒法師岳(2067m)に続く庭園のような吊り尾根、黒法師岳の右に富士山が美しい二次曲線を二本碧空に向かって刻んでいる。南には相模湾が広がり御前崎の先端まで海岸線が鮮やかな弧を描いている。黒法師岳から左に丸盆岳(2066m)、不動岳(2171m)が大きく並んでおり。その間に鎌崩(かまなぎ)とよばれているナイフリッジが確認できる。それらの背後にそれぞれ頭に雪をいただいた光岳、茶臼岳、上河内岳、聖岳、兎岳など南アルプスの主役が整列している。来年の冬合宿は聖岳に行こうと私が言うと、I氏は「年末年始の聖はよく踏まれており、歩きやすい。」とフォローしてくれる。これで来年の冬合宿は決まりだ。
バラ谷ノ頭から黒法師岳の間の尾根には黒バラ平との仮称がある。HTは「ホモの聖地」とか呼んでいたが何のことかよくわからない!?。きっと彼はその道に迷い込んだことがあるのだろう。この尾根は北北西に続く深い谷を堰止めるような位置にあり、季節風が吹き抜ける。そのせいで積雪も膝くらいとなる。また、木が大きく育たないようで前黒法師山までの尾根とは対照的に、大木は少ないが形の良いダケカンバ(と思われる)が適度に配置されている。広大な庭園を散歩しているようだ。思わず「いいねえ。」と独り言が口をつく。あの長い林道を歩いてきた甲斐は十分ある。この尾根でHTの年期の入った登山靴のビブラムソールがかかとあたりまではがれるアクシデントがあったが、チェーンアイゼンで底を固定することができ、危うく難を逃れる。
一時間ほどで黒法師岳に着く。林に囲まれ展望はきかないが日だまりのような広い山頂である。ここは日本でただ一つ「×」印の三角点で有名である。しかも一等三角点である。自称、三角点コレクターの私としてはどうしても雪の中から掘り出さなければならない。石川氏におおよその位置を伺い、それらしい雪の盛り上がりを掘ってみるが出てくるのは石ばかりである。やがてそれらが円形に並んでいることに気づき、その弧の中心を掘ってみると、やはりあった、「×」印の三角点。これで私も自他ともに認める三角点コレクターになったようだ!?
頂上でゆっくり昼食を取る。時間があれば丸盆岳、鎌崩、鹿ノ平あたりまで足を伸ばしたいところだが、幕営地が遠いため時間が足りない。それにここまでこれただけで皆十分満足しているようだ。アルコールを持ってこなかったのが悔やまれる。
回りの景色を楽しみながら15時には幕営地に戻る。今日一日、誰にも会わない。正月というのに静かに、ゆっくり自然を慈しむことができた。冬の深南部の記録がないかといろいろ手を尽くしてみたが、どうしても見つけられなかった。そのことがよく理解できる。きっとまたOS氏は思わせぶりな出だしで始まる山行記を「岳人」に寄稿し、原稿料を稼ぐことだろう。
昨夜に続きOS氏のニンニクたっぷりのエチオピア風カレーを皆ヒーヒー言いながら食べる。明日は下りだけ。アルコールがなくなるまで皆で談笑し、就寝は夜遅くなる。

 

14

 OS氏は足が冷たいらしくスリスリ、スリスリ。HTはシュラフを絞る紐が見つからずガサゴソ、ガサゴソ。私は風邪でゴホンゴホン、ゴホンゴホン。エスパースに三人でゆったりしているのだが、騒々しい連中が集まったようで夜半に目が覚める。雪が降っている。季節風によるものでなく、前線の通過によるものと思われる。下界では雨であろう。4時に離床し、朝食を取り、テントを撤収。7時に幕営地を後にする。重い雪でテントが湿り登りよりザックが重く感じられる。1時間ほどで麻布山。ここから水窪湖の奥、戸中(とちゅう)に向かう尾根を降りる。1000m付近でみぞれが雨に変わる。久明が又ズレをおこすほど蒸し暑い。O脚の私は又ズレなどまったく経験したことがない。羨ましい気もする。登山道はヒノキの人工林でつまらない。野鳥の森からの尾根に比べ結構急である。ここを20Kgの荷で登るとなると、精神的に消耗しそうである。水窪湖に架かる足もとがアミアミの吊り橋、戸中橋を渡り無事下山となる。後は3Kmほどダム湖畔の道路を歩き、元旦に幕営した休憩所に戻る。土砂の流入が激しいのか水窪湖は濁っている。少し緑がかってヒスイのようだ。雨は上がり、霧の間から頭を出した墨絵のような麻布山が我々を見送ってくれた。

(記録 HT)

 

一口メモ

水窪以外からも、南赤石林道、寸又峡温泉からもアプローチできます。

水場は黒バラ平らのコルから5分下った所にあります。

水窪にも温泉がありますが、営業していない日が多い。

トップページに戻る