川浦谷・西ヶ洞

日  程■1999724(土曜日)

天  気晴れ

メンバーOS(CL) KO HT ET(記録)

行  程大垣5:00=下降ポイントP7:00/7:20 -大ヤマタ出会11:00-大ヤマタ10m滝11:30-大ヤマタ出会12:00/13:00-降下ポイントP16:30 =大垣18:30

地 形 図■25千図: 下大須、平家岳

 

 私たち、自然を愛するもの、奥美濃の山と谷をこよなく愛し親しんできたものは、破壊的な開発に、さみしさと、かなしみを覚えるのである。川浦谷もすでに秘境ではなく、悲境となり、谷はなげき峰は怒り、潜み住む者は、おののき、地は生える者は人智の愚かさをしかりつけている。

岐阜山岳会「三角点第5号」1973年 伊藤昌宏氏記

 あまりマスコミに登場することはないが、奥美濃では徳山ダム以外にも多くのダム建設が計画されている。その一つが川浦谷支流、西ヶ洞である。今回の遡行は「死に至る病」におかされた美女を、その病床に見舞うような、何とも後味の悪い遡行となった。

 山村の最も美しい風景の場は、多くは山の洞であったり、河川の源流部に近い場であったりします。ここは、長年人手が加えられなかったところです。山人は、そこに手を加えることの愚と危険とを熟知していたのでしょう。それゆえに美しさが保たれ、またその美しい場を訪れることを通じて、自分たちが安全で安定した生活を送り続けることを確かめ、感謝してきたのです。

「森の心、森の知恵」林進著

 最近まで車一台がやっと通ることのできた銚子谷林道も、拡幅工事が終わり、ダム工事のためのトンネルの入り口である大ツゲ谷まで、工事兼観光道路として「見事」に整備されている。新たに掘られたトンネルの二つ目を出たところ、美濃平家岳への登山口でもある駐車場車を止める。
 帰り道、板取の情報拠点「テーラー長屋」の主人にうかがったところによると、今年、当局は、大ツゲ谷以遠、銚子谷への降下点、三光橋まで道路舗装を行っているらしい。また、悲しいことに、長い間、遡行者だけのものであった奥美濃の名瀑「銚子滝」まで、遊歩道を整備しているらしい。ご存じ、川浦、西ヶ洞、海ノ溝流域の広大な一帯は、長屋治左衛門家の個人所有地である。幸か不幸か治左衛門は昭和初期まで岳人の入山を拒否し、十数年前まで、許可がなければ入山できなかったようである。その結果、原始の自然がよく保たれてきたのかもしれない。治左衛門家の方針転換はいかんともしがたいが、自然林に入れる斧は最小限にとどめていただきたい。また、当局には、国立公園なみの扱いを求めたい。
 夏合宿の泳ぎを前提としたトレーニングのための遡行である。HTとOS氏はネオプレーンのウエットスーツに身を固める。KO氏と小生は真夏の太陽に期待をかける。旧道を少し戻り、工事用の階段が設置してあるところから急坂を降下。ダム工事の調査のために設けたのであろう、遡行には無用な橋から入渓、と言うより入水。2030m下ったところが川浦谷本流と西ヶ洞との分岐である。流域面積は本流の方が少し広いはずだが、流量は西ヶ洞も引けを取らない、胸のときめくような大渓である。両岸は高く切り立った暗いゴルジュであるが、長年にわたり磨き削られ、岩の角は丸くなっている。険悪さどころか、優しさえ感じられる。それにもましてこの渓の財産はそこを流れる水である。上流にダムができたことにより水が土壌と接することが少なく、有機物があまりとけ込んでいないと見え、岩にぬめりが全くない。深いゴルジュの淵でさえ、夏の光で川底の石がエメラルドグリーンに輝いて見える。木漏れ日に輝く浅瀬は阿弥陀経に書かれた極楽浄土の池のようだ。

 下流部の都市では野放図に排水を垂れ流しながら、上流部の人々の清流を守る努力には一向に関心すら示さないばかりか、山村の人々の生活の糧である林業・森林伐採を自然破壊と決めつける都会人の無知さは、むしろ無恥といってもよいほどのものがある。たとえば、岐阜県長良川下流域の住民のどれだけの人が、上流域板取村の人たちが清流を守るために、ずいぶんと以前から合成洗剤の使用をやめる運動を展開していることを知っているだろうか。川は、流れるままに清いのではなく、清らかに保とうとする人の営為があるがゆえにこそ清らかさを保っていることに、もっと思いを巡らさねばならない。

「森の心、森の知恵」林進著

 川は、流域住民の心を表す鏡であろう。もし、この水の美しさを海まで保つことができたなら、多くの社会問題は解決しているはずである。

 ゴルジュを形成している岩は少し赤みを帯びた花崗岩である。ほぼ水平に板状節理をなしており、ゴルジュ(廊下)の名の通り歩きやすい。泳ぎを前提としているので、へつりの難しいところは泳いで次々と突破する。しばらくゆくと、前をゆくHTの大きな悲嘆の声が耳にはいる。見上げると、二車線分は幅のあるグロテスクな作業用トンネルが目に飛び込む。トンネルの周囲の崖はモルタルで固めてある。尾根を一つ越えた大ツゲ谷の方から掘られたようだ。幸い、しばらくは作業を行わないようで、入り口をコンパネで塞いである。我々「遡行者」にとってこの西ヶ洞は珠玉の美渓である。それをダムの底に沈めるとは。モナリザやミロのビーナス、または法隆寺の百済観音等、美術的価値のあるものを湖底に沈めるのと同じである。学生をやっていた時、大脳生理学の教師から「真なるもの、善なるもの、美なるものを求めるのは人間の本質である。」と教わった。ニーチェは今世紀はじめ、その主著「ツァラトウストラはかく語りき」で「神は死せり、神は人間への哀れみをのどに詰まらせて死せり。」と宣言した。哀れな人間はかくなる愚行をどれだけくりかえすのであろう。もし、「真善美」を守ってくれる神がいるなら、無条件で信じたい。無力感を通り越して、虚無感さえ感じられる。愛する風景、自然があるなら、それを守ってゆくのが我々岳人の使命ではないだろうか。この渓を愛する人々が連帯し、保全してゆくことができないであろうか。
 憂鬱な思いでしばらく河原をゆくと「尺もの」のアマゴが足もとを横切る。魚を見つけると狩猟本能に目覚め、「とらまえ」なければ気の済まないのが人間の持っている野生のさがである。OS氏が岩の下に追いつめ、両手で「とらまえ」ようとするが、寸前で逃げられる。やはり逃した魚は大きい。
 大石を飛び越え、淵を泳ぎ、快調に進むが30mはあろう、長くて深い淵に出る。ここは泳ぎに自信のある久明に突破してもい、ザイルで引っぱってもらう。長く冷たい水に浸かっていると足が麻痺してしまう。下手に動かせばすぐつってしまうのは目に見えている。このようなときは無理をせず、手だけでゆっくり進むのがよい。
 やがて、3mの滝には不釣り合いな大きなお釜にであう。直径はゆうに10mはあろう。深さも10m程あろうか、水が澄んでおり、釜の底がうっすら見える。そこを鮭のような大魚が悠々と泳ぎ回っている。このような大釜を形成するには落差30m、銚子滝程の滝でないと物理的に無理であろう。かつてここに大滝があったのではないかと主張するも、いつもの通り、HTとOS氏に一蹴される。宗教裁判にかけられたガリレオの気持ちが良く理解できる。彼らには科学的ロマン、想像力というものが理解できないのであろうか。
ほかにこれといって大きな滝はない。両岸は深く切れ込んでおり、合流する沢はほとんど小滝となって注ぎ込んでいる。それがまた個性的で趣がある。特に細かい階段状の岩棚を山積みのシャンパングラスにシャンパンを注いだときのように末広がりに流れ落ちる小滝群は美しい。
泳ぎ、へつり、飛び、体が冷え切ったところで洞の天井へ東南東から突き上げる大ヤマタとの名前がある沢の出会いに出る。この付近は広い河原となっている。昔、炭焼きが行われていたのだろう、窯跡を見ることができる。焼いたはいいがどうやって運び出したのであろう、今、どう考えても、採算に合わない。
リュックをおろし、空荷で本流ではない大ヤマタの方へ行ってみる。上部は確認できないが、多段10数メートルの豪快な滝に出る両岸は切り立った絶壁、大巻きするのにも手を焼きそうである。ここで引き返し、本流との出会いで昼食とする。ここもダムの底に沈むことを忘れ、完登に思いを馳せる。沢の中の大石に座り、足を水に浸して飲むビールは最高である。下界ではうだるような暑さであろう。

(記録 HT)

  *一口メモ*

●19955月と8月の二回にわたって行われた、西ヶ洞の生物相調査の時のビィデオを、板取小学校で教職に付いていた従兄に借りました。ダビングしますのでご希望の方はお申し出下さい。

トップページに戻る