笈ケ岳

標高: 1841.4m

山行年月日: 1988.4/30〜5/2

地形図: 5万図/白峰白川村2万5千図/市原・中宮温泉

記録者: 手塚                  

コースタイム

記録

 やっと登った。笈ケ岳ほどの山になると、登るだけで大変なことだ。一筋縄ではいかない山である。この山を知ったのはいつ頃だっただろうか。深田久弥の著わした「山頂の憩い」に中宮温泉から尾根を上がり、冬瓜岳近くの稜線に達したことが書いてあり、深田氏はこの後念願の登頂を果たされたとのことである。それとも「日本百名山」の後記に「北陸では白山山脈の笈岳か大笠山を是非いれるつもりであった。・・・・しかしまだ登頂の機会を得ないので遺憾にも割愛した。」が印象に残っていたのだろうか。

 それにしても、笈ケ岳はごく限られた季節に体力と経験に恵まれたエキスパートのみに登頂が許された山であり、更にその上好亊家の山と言うことができよう。「貴重な五月の連休を、何もこんな辺ぴな薮山へ好き好んで。」と考えている方には一生登頂のチャンスはめぐってこないであろう。5月の連休と言っても標高が低いだけに年によって残雪の状況が著しく異なり、昨年のように大笠山まで達しながら、雪が切れたため山頂を目前にして涙をのむということもある。

 笈ケ岳は北の大笠山のなだらかな山容(谷は険悪だが)と好対照をなす峻峰で、北に宝剣岳、錫杖岳の2峰を従えている。残雪期の登頂ルートは大きく分けて3つある。1つは昨年試みたように大笠山から県境をたどるもの。次は三方岩山から瓢箪山、国見山、仙人窟岳を経るルート。今一つが今回成功した東の山毛欅尾山から冬瓜山を経て頂上に達するものである。いずれも道はなく残雪を利用しての登頂ルートであるため、季節は5月の連休前後に限られ、往復・縦走のいずれもが試みられている。

 油坂を越えて九頭竜に出ると天候は一変して雨となった。ラジオの天気予報はしきりに天気回復を告げているがしばらくは降りそうだ。谷峠を越えて手取川ダムまで降っていたが一里野の中宮発電所の降り口に車を止めた時から次第に晴れてきた。

 購入したばかりの独り用軽量テントを入れたザックはずしりと重い。独りでテントをかついで山にはいるのは実に久し振りで、学生時代の平ケ岳以来だから8年ぶりということか。中宮発電所へいったん下り導水管横の急な階段を登る。尾根には貯水池があって、青緑色の水が流れている。雄谷上流、ヨコヌギ谷の少し上に取水口があって、ここまでトンネルで導いているとのこと。ここから取水口まで水平道が通じている。手入れの行き届いた良い道だ。雄谷上流の清水谷にはワサビ田があって、道はそこまで通じているとのこと。昔は更に笈ケ岳西尾根を越えて千丈平へも行けたそうだから、まだ踏みあとがあるかも知れない。先人達もこのルートから笈ケ岳に達したのであろう。

 貯水池から尾根伝いに山毛欅尾山を目指す。踏みあとがあり、薮をこぎながら登る。あたりは桜が咲いて、林床は一面カタクリの花が敷き詰められて、それは見事である。登りのつらさが慰められる。中間点にスギの植林地があり、残雪が現れるようになる。林を出た所でひっくりかえって休んでいると、近くでガサガサッと音がする。見ると、驚いたことに熊である。「ヤバイ」とすぐピッケルを手に身構えるが、体が硬直したようになる。20mほどの距離だったろうか、まだ若いらしく小さく見えたその熊は僕の存在に気づいて、面倒臭そうにのろのろと去っていった。ヤレヤレである。スギ林の上はしばらく薮をこぐとまた踏みあとに出る。切れ切れの残雪がつながるとようやく山頂に出る。一面の雪原で、東に少し離れた立木に赤布が翻り、そのさきに大笠山と目指す笈ケ岳が望まれる。北東へ緩く下っていくとまた雪が切れて薮が出ている。今度はかなり手強い。1271m峰への登りは全く雪がなく、重荷での薮漕ぎに疲れ果てて手前の鞍部の雪原にテントを張った。日没とともに東の空に月が出て皓々と周囲を照らす。北に大瓢箪山が大きく望まれる良い天場で、キツツキのドラミングが聞こえたが、何となく熊の気配がして落ち着けなかった。 明けて5月1日、快晴。笈ケ岳往復の日である。必要な装備だけザックに詰めると比較的楽に薮が漕げる。ザックに出っ張った所もなく薮に引っかかることも少ない。残雪は尾根では1350mが下限で、雪のない所が多いものの、営林署が昔伐り開いたらしく薮は概して薄い。中宮温泉の方からくる尾根を合してしばらく行くと、左手にブナの巨木の点在する冬瓜平が開けてくる。冬瓜山頂は残雪を付けず黒々とした岩稜をのぞかせていたので、冬瓜平を通って北側を巻いてしまうことにする。一面の雪原に巨大なブナが林立し、その後方に笈ケ岳や大笠山を望む冬瓜平はこの世の別天地の感がある。人を惑わす妖しさに満ちたこの地にやがてブナが芽吹き、薫風が渡り、夏の雷鳴が轟くことだろう。そして秋がきてブナが錦繍に燃えると、冷たい雨が降り、それはやがて雪に変わる。ここには神々しいまでの厳しい大自然の営みが繰り返されているのだ。平が尽きると冬瓜山側からは岩壁が迫り、雪解け水が滝を懸ける。いったん清水谷側に下降し、シリタカ山北の平原へ登り返す。ここも規模は小さいながら美しいブナの平である。笈ケ岳の西面が屏風のようだ。シリタカ山の北峰をトラバースして県境稜線との鞍部に着く。ここには笈ケ岳から冬瓜山へ向かう踏みあとがある。冬瓜平を通ったためすれ違ったらしい。同じく単独行。正面は岩壁なので左側の雪のついた凹部を登る。それ程の傾斜はなく稜線に出た。雪の少ない西面に較べ東面は夥しい程の積雪で、シラビソが頭をのぞかせて点在する風景は高山的、かつ上越巻機山を思い出させる。それにしても遠い。随分疲れた。笈ケ岳の山頂は雪がなく、そこだけ緑の丸いコブに向かってなだらかな雪稜をゆっくりと歩む。素晴らしい展望、東には人形山から猿ケ馬場に連なる残雪の山波、振り返れば圧倒的なボリュームで白銀に輝く白山。これも天国へ登る階段なのだろうか。

 初夏の陽気に満ちた笈ケ岳の山頂にはホウロウの壺が埋めてあって、中にタッパーに入れて防水された手帳が2冊、千数百円のお金、ライター、あめなど。手帳をめくって眺め、目を上げて四方の山を眺め、至福の時が過ぎていく。昭和59年5月13日10時54分、五箇山保勝会、小坂谷益雄ほか4名の名前がそこにあった。